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さまざまな「聖地」について

さまざまな「聖地」について

旧統一協会(現家庭連合)が山口県下関を「聖地」と名付けているということで、なぜかそれを指摘した衆院補選の野党候補の方が攻撃を受けるという訳の分からない事態になっている。

旧統一協会には文鮮明が日本の第一歩を踏んだ下関と留学していた早稲田以外に全国各地に「聖地」があるようだ、以下のブログからひとつ抜き出すと、こうだ。

続・日本統一運動史 14 北海道/仙台
www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id..

“夕方4時頃、北海道神宮に行き大先生(文鮮明のこと)が腰までもある雪の中を先頭に立ってラッセルされ、純白の雪の中で聖地を決定された。”

北海道での聖地は北海道神宮に決めた時のエピソードがこれ。こんな感じで訪問先で思い付きで各地の聖地を決めているっぽいのだ。

普通、何かしらの事蹟があった地を聖地を決めると思うのだが、そうではないらしい。まあ、普通じゃないことをホイホイやるのがカルトの王道と言えるかもしれないけどね。

言う前に断っておきますが、この用例は正直好きではない。オタク用語の「聖地」についてです。「聖地」を説明するのに良いので書くのですが、作品に登場する場所を「聖地」にする流行りというのがある。これは前提として物語があっての「聖地」な訳で、作中や制作側が「ここが聖地でーす」とは口に出して言わない、そんな売り出し方はダサいからしない。後追いで自治体が盛り上げたりはするけど、主体はファンの行動であって、そこで「聖地」として形づくられるのだ。

このオタクの用例の方がしっくりとして、理解しやすい気がする。そもそもあらゆる「聖地」は基本はこれであって、これの上に歴史や文化等のフィルターなどを通して、一般的に使われる宗教の「聖地」となっていくのではないだろうか。

話を戻して旧統一協会の増産された「聖地」ですが、これは簡単にいっちゃうと集金手段、信者を繋ぎ止める楔といった目的を持って文鮮明は各地に作ったのではないだろうか。信者に対して「ここは特別な場所なんだ、そして私たちは特別なんだ」という洗脳のための装置がこの「聖地」とみます。実際、上記のブログ等はそういった目的のために書かれているのでしょう。

各地に作るにしてももう少し物語性を付ければいいのに、と赤の他人ながら思う。

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